2007年 03月 21日
日本とデンマーク 2 |
冬休みを利用して日本に行って来たばかりの娘が、
「みんなに『デンマーク語が出来てエライね。』と
感心されたけど、本当を言うと、この頭の中がね、日本語で出来
上がっていると言うことの方を誉めてもらいたいなあ…なんて、
ちょっと思った。」と、笑いながら言いました。
「ほんとに。」私は応えながら、「やったね!」と思わずほくそ
笑んだのでした。
コペンハーゲンっ子の彩ちゃんは、周囲を笑いに巻き込むおしゃべり上手。
乗り突っ込みの名人?だし、アップデートの日本情報通。
言葉使いに厳しいおばあちゃんさえも認める100%ネイティブな娘の
日本語に“万歳!”です。
ローマは一日にして成らず。
娘の自信も昨日今日で出来たわけではありません。
彼女が幼かった頃から親子3人よく遊び、よく話し、よく歌い、
そして、笑っていた…。そんな事の積み重ねが彼女の根っこの所に
しっかりと“日本”を植え付けたのだと思います。
それは、ささやかな私達の自慢でもあります。
* 彩ちゃんの あいうえお教室*
「♪僕が先生になったなら〜1時間目は体操♪…学校好き♪給食好き♪
先生大好き〜♪」これは我が家の隠れたヒットメロディー、
「先生の通信簿」という児童映画( 今は無き*日活児童映画の
1970年台後半の作品と思われる。古い!!。)の挿入歌だ。
放送時間の少ないデンマークのテレビ、その中でも更に限られた
子供番組の枠内で、ある日まったく唐突に遠いアジアの国の児童映画を
放映したのだった。
偶然スイッチを入れた私は焦った。焦りながらも何とかビデオに収録した。
そして、この一見とても地味な教育映画が、娘に日本の小学校は楽しい所とう
想像を掻き立てさせた、まさに最高の教材となったのだった。
*日活児童映画:団塊の世代には懐かしい。私が小学生のころは学校の講堂で
生徒全員ゴザに座って観た。
覚えているのは「にあんちゃん」&「のんちゃん雲に乗る」
ある日の事、映画に登場する子供達の様子に目を輝かしている娘の
姿に父タカシは閃いた。
題して「学校ごっこ」。キーワードは通信簿。二人の学校が早速始まった。
シナリオ無し。ただ一つの決まりは毎日通う事。
家族で夕食を囲んだテーブルが教室に、そして一杯機嫌のタカシさんが
校長先生に早変わりする。
しっかり筆箱を抱えて「ママ行って来ま〜す!」
幼い娘は一応廊下に出て手なんか振って可愛い。「いってらっしゃい。
宿題持った?」…親子3人すっかりその気になっているのだった。
もともと文字習得が目的だから、「学校ごっこ」の授業は書き取り中心。
点線で書かれた文字をなぞる事から始まった。書き順通り正しく書けたら
100点。少しでも間違えると減点される。
彩はオデコに汗して鉛筆を点線に沿わせた。緊張の面持ちで書き上げた用紙
を提出する。どうかな?100点くれるかな?ドキドキ。
パパ校長先生はなかなかの誉め上手で、本人が自信の無さそうな時に限って
褒めちぎる。子供も煽てリャ木に登るのだった。彩は日増しに文字を覚え、
逆に校長先生に宿題を作って彼女がそれを採点して遊んだ。
実はそれが”先生の通信簿”であり、彼女が映画に目を輝かせたたポイントでも
有ったのだった。
例:あやはピーマンだいすき=○ パパはピーマンきらい=×
と、いう具合で、彼女はおもしろいように問題をどんどん作る。楽しいから、
言葉に興味が湧く。沢山文字を覚えようとする。娘の様子に言葉を覚えると
言う事はこういう事なんだ、と私達の方が目からウロコだった。
夜遅く方眼紙に翌日の書き取りを製作している時のタカシさんは本物の
学校の先生のようだった。
ひらがなから始まった「学校ごっこ」で、少しずつ、しかし着実に言葉や文章を
習い、小学校(もちろんデンマークの)に入る頃には簡単な漢字が書ける
までになっていた。
文字を覚えた彩は日本に住む家族に手紙を書くのが大好きになった。
毎年一度の里帰りで味わうふる里の温もりをもっと身近に感じたくて、
筆まめ母娘は、家族のアルバムを開いてはせっせと手紙を書いた。
私が父から受け取った最後の手紙には彩宛の手紙が同封されていた。
「あやちゃん、てがみをありがとう。
あてなもじょうずにかけていて、ゆうびんやさんがチャンと
はいたつしてくれました。きょうは、ひさしぶりによいてんきで、
あやちゃんのえのようにのやまのみどりがきれいです。」
1988年10月16日 じいより
彩が満5才の秋、父が亡くなる13日前の事だった。
「みんなに『デンマーク語が出来てエライね。』と
感心されたけど、本当を言うと、この頭の中がね、日本語で出来
上がっていると言うことの方を誉めてもらいたいなあ…なんて、
ちょっと思った。」と、笑いながら言いました。
「ほんとに。」私は応えながら、「やったね!」と思わずほくそ
笑んだのでした。
コペンハーゲンっ子の彩ちゃんは、周囲を笑いに巻き込むおしゃべり上手。
乗り突っ込みの名人?だし、アップデートの日本情報通。
言葉使いに厳しいおばあちゃんさえも認める100%ネイティブな娘の
日本語に“万歳!”です。
ローマは一日にして成らず。
娘の自信も昨日今日で出来たわけではありません。
彼女が幼かった頃から親子3人よく遊び、よく話し、よく歌い、
そして、笑っていた…。そんな事の積み重ねが彼女の根っこの所に
しっかりと“日本”を植え付けたのだと思います。
それは、ささやかな私達の自慢でもあります。
* 彩ちゃんの あいうえお教室*
「♪僕が先生になったなら〜1時間目は体操♪…学校好き♪給食好き♪
先生大好き〜♪」これは我が家の隠れたヒットメロディー、
「先生の通信簿」という児童映画( 今は無き*日活児童映画の
1970年台後半の作品と思われる。古い!!。)の挿入歌だ。
放送時間の少ないデンマークのテレビ、その中でも更に限られた
子供番組の枠内で、ある日まったく唐突に遠いアジアの国の児童映画を
放映したのだった。
偶然スイッチを入れた私は焦った。焦りながらも何とかビデオに収録した。
そして、この一見とても地味な教育映画が、娘に日本の小学校は楽しい所とう
想像を掻き立てさせた、まさに最高の教材となったのだった。
*日活児童映画:団塊の世代には懐かしい。私が小学生のころは学校の講堂で
生徒全員ゴザに座って観た。
覚えているのは「にあんちゃん」&「のんちゃん雲に乗る」
ある日の事、映画に登場する子供達の様子に目を輝かしている娘の
姿に父タカシは閃いた。
題して「学校ごっこ」。キーワードは通信簿。二人の学校が早速始まった。
シナリオ無し。ただ一つの決まりは毎日通う事。
家族で夕食を囲んだテーブルが教室に、そして一杯機嫌のタカシさんが
校長先生に早変わりする。
しっかり筆箱を抱えて「ママ行って来ま〜す!」
幼い娘は一応廊下に出て手なんか振って可愛い。「いってらっしゃい。
宿題持った?」…親子3人すっかりその気になっているのだった。
もともと文字習得が目的だから、「学校ごっこ」の授業は書き取り中心。
点線で書かれた文字をなぞる事から始まった。書き順通り正しく書けたら
100点。少しでも間違えると減点される。
彩はオデコに汗して鉛筆を点線に沿わせた。緊張の面持ちで書き上げた用紙
を提出する。どうかな?100点くれるかな?ドキドキ。
パパ校長先生はなかなかの誉め上手で、本人が自信の無さそうな時に限って
褒めちぎる。子供も煽てリャ木に登るのだった。彩は日増しに文字を覚え、
逆に校長先生に宿題を作って彼女がそれを採点して遊んだ。
実はそれが”先生の通信簿”であり、彼女が映画に目を輝かせたたポイントでも
有ったのだった。
例:あやはピーマンだいすき=○ パパはピーマンきらい=×
と、いう具合で、彼女はおもしろいように問題をどんどん作る。楽しいから、
言葉に興味が湧く。沢山文字を覚えようとする。娘の様子に言葉を覚えると
言う事はこういう事なんだ、と私達の方が目からウロコだった。
夜遅く方眼紙に翌日の書き取りを製作している時のタカシさんは本物の
学校の先生のようだった。
ひらがなから始まった「学校ごっこ」で、少しずつ、しかし着実に言葉や文章を
習い、小学校(もちろんデンマークの)に入る頃には簡単な漢字が書ける
までになっていた。
文字を覚えた彩は日本に住む家族に手紙を書くのが大好きになった。
毎年一度の里帰りで味わうふる里の温もりをもっと身近に感じたくて、
筆まめ母娘は、家族のアルバムを開いてはせっせと手紙を書いた。
私が父から受け取った最後の手紙には彩宛の手紙が同封されていた。
「あやちゃん、てがみをありがとう。
あてなもじょうずにかけていて、ゆうびんやさんがチャンと
はいたつしてくれました。きょうは、ひさしぶりによいてんきで、
あやちゃんのえのようにのやまのみどりがきれいです。」
1988年10月16日 じいより
彩が満5才の秋、父が亡くなる13日前の事だった。
by sundby
| 2007-03-21 21:49
| 家族