2006年 10月 07日
デンマーク生活から学んだエトセトラ 1 |
* 私のデザイン意識改革 1*
IDカードの一件では、先進的システムゆえの不自由さを体験したものの、
ヨアン一家掛かり付けのホームドクターに変更して一安心。
そして、気ままな私の話はお腹に赤ちゃんがやって来る少し前に遡る。
題して私のデザイン意識改革。
時は1982年5月、家具フェアの季節となった。
北欧は長い冬がようやく終わり、それこそ息せき切ったように、
一度に春がやって来て、一年中で一番美しい頃となる。
チューリップは言うに及ばず、辺り一面に草花が咲き誇り、
待っていました!とばかりに桃も桜もれんぎょうも何もかもが一度に開花して、
萌える新緑の中に美しい色彩を添える。まるで印象派の風景画そのままの
中で開催される家具フェア。それだけでもときめくのに充分だけれど、
その年のフェアは特別だった。
例の空飛ぶ絨毯の椅子が発表される運びとなったのだ。
いつもはT-シャツにG-パンのタカシさんがネクタイを絞めて
「これでいいかな?」なんて首をかしげている。私が孫にも衣装だ、と
おだてているとアパートの庭からクラクションが聞こえてきた。
ほら、エリックが迎えに来たよ。急げ、タカシさん!
二人で階段を駈け降りた。庭掃除をしていたヨアンが「グッドラック!」と、
笑顔で言う。エリックとタカシさんがアリガトウと笑って答える。
良いなあ、と私はそんな男達を傍らで眺めている。
今でも思い出す。明るい5月の朝の一コマ。
さあ、エリックのおんぼろルノーに乗り込んで会場のベラセンターに出発だ。
何だかワクワクする。
当時はそれこそ世界中から北欧家具買い付けの人々が集い、
大いに賑わっていた。各社が新作をコレクションに加えて発表する。
何と言っても北欧家具の本場も本場、お膝元のフェアだ。
名作、新作がキラ星のごとく展示されている。
ガラス張りの明るい会場、出来たばかりの家具の匂いとでもいおうか、
香しい世界が展開されていた。そんな中、彼らの新作が
スウェーデンのメーカーから発表される事になったのだ。
タカシさんもエリックも当時33才。メーカーとしては思い切った
若手デザイナーの起用だったから、彼らが晴れがましく思ったのも当然なのだった。
展示ブースに行くと、おお、賑わっている!私は多くの人が感心を
示して座ったり、回転させたり、カタログと見比べたりしている様子を
誇らしく思いながら、やがて販売されて世界中に輸出されると知るに至って、
ようやく彼らの仕事の何なのかが見えて来たような気がした。
思えば、ずいぶん前になるなあ、あのアイデアスケッチを見て驚いたのは…。
絵の段階から、こうして商品化して行くプロセスを目のあたりにした時に
「図面はデザイナーから職人さんへの大切な手紙。間違い無く
読み取ってもらえるように努めるのが僕達の使命。」というタカシさんの
言葉がはじめて実感となって伝わって来たのだった。
かつて、家具デザイナーという職業さえ認識していなかった私が、
この椅子の一件で氷が解けるように理解出来るような気がして来た。
そして、素晴らしい仕事だと素直に思えた。
家具デザイナーを世界中で一番理解する主婦になる為の”ステップ1”は
こうして何度かの家具フェアを体験しながら何とかクリア出来たかな?という
所まで漕ぎつけたのだった。
by sundby
| 2006-10-07 19:41
| ティンガーデン