2006年 06月 17日
ティンガーデン物語りの始まり |
【ティンガーデン物語り】
もともと、タカシさんが住んでいた所に混ぜてもらうように住み始めたアパート、
ティンガーデンはレンガ作り6階建て3棟がコの字型に並んでいた。
新旧入り混ざった集合住宅が立ち並ぶ界隈はお世辞にも美しいとは
言い難かったけれど、世話好きでお人好しな住人達に囲まれた暮らしは
デンマークに来たばかりの私にとってどこよりも居心地良く、
本当に毎日が楽しく過ぎて行った。
1980年春から1989年末までの9年半に及ぶティンガーデンでの暮らしは
そのまま私の80年代回想録。何故、今こんなに懐かしいのだろう?
あの頃の生活、あの頃の人々、そしてあの頃の私。
呼び戻してみたい。切ないくらいにそう思う。
*海風、そよ風、初夏の風 1*
開け放したキッチンの窓からアパートの裏庭で遊ぶ子供達の声が聞こえて来る。
コペンハーゲンに来て2度目の夏を迎えようとしていた。
さすがに酢豚以外にも作れるようになって、その日のメニューはコロッケと
決めていた。タマネギのみじん切りとミンチを良く炒めて、塩コショウ、
それにナツメッグ少々で味付けしたら、あらかじめ茹でてマッシュしておいた
ジャガ芋と混ぜ合わせる。それから写真のフィルムケースくらいのサイズ
に丸めて行く。デンマークのパン粉は砂のようにサラサラしている。
だからコロッケ作りはまるで砂遊び。工作のようで楽しい作業だ。
そして、嗚呼。
こんがり揚がったコロッケからは何とも懐かしくて、ほのぼのとした
美味しい匂いが立ち上ることか。
夕暮れ時の賑やかな商店街。夕飯の献立を思案しながら立ち止まる。
お惣菜やさんのガラスケースに並んだ揚げ物の数々。
何にしようか? 心は千々に乱れる。家族の顔を思い浮かべながら
「やっぱり、皆が大好きなコロッケにしよう!」
そしてお母さんはガラスケース越しに少し背伸びした。
…そんな故郷の団欒イメージが郷愁を誘うお惣菜、コロッケは当時の
「我が家の幸福メニューNO.1」と言えた。
”サッサッサアー、サラダの国から来たムスメー♪”(byイルカ)
お気に入りの歌を口ずさみみながらコロッケを順に揚げていると
トントトーン、階段2段飛びの音に続いて玄関チャイムがなった。
キッチンは狭い廊下を挟んで玄関から真直ぐに細長く続いていた。
だからその時も玄関を開けるとスーッと一筋、初夏の風が汗ばんだ私のおオデコを
一撫でして、キッチン突き当たりの窓へ通り抜けて行った。
ドアの外には日焼けしたジミーが笑顔で立っていた。
サッカーボールを回しながら「とうさん来てる?」開口一番に聞いた。
「今日はまだ。はい、どうぞ。」私は揚がったばかりのコロッケを一つ
紙に包んで手渡した。「おいしい!あのね、とうさん見かけたら僕はハーバー
に行ったって、そう伝えて。」彼はそういうとまた階段2段飛びで
明るい陽射しの中に飛び出して行ってしまった。
ジミーは私達の友達人夫婦リスとヨアンの13才になる息子だ。
当時ヨアンは私達の住むアパート、ティンガーデンの管理人をしていた。
アパートと言っても全部で3棟。90世帯の大所帯だ。彼はアパートの
メンテナンスから住人の相談役まで一手に引き受ける、頼りがいの有る
親方的存在だった。
さて、と、冷蔵庫の中に顔を突っ込んでサラダにする材料を探していると、
背後で「やあ、」という声がした。振り向くと、風が通るようにと
開けたままにしてあった玄関から今度はヨアンが顔を出した。
「ああ、行き違いよ。たった今ジミーが来た所。ハーバーに行くって。」
そう伝えると、「そりゃあ、都合が良い。僕達も皆の帰りを待って行こう。」と、
嬉しそうな笑顔で答えた。
ヨアンと来たら毎日でも沖に出たがるんだから、まったく漁師みたいだ、
と私は可笑しくなる。それでも、気付けばせっせと揚がったばかりの
コロッケをバスケットに詰め込んでいるのだった。
もともと、タカシさんが住んでいた所に混ぜてもらうように住み始めたアパート、
ティンガーデンはレンガ作り6階建て3棟がコの字型に並んでいた。
新旧入り混ざった集合住宅が立ち並ぶ界隈はお世辞にも美しいとは
言い難かったけれど、世話好きでお人好しな住人達に囲まれた暮らしは
デンマークに来たばかりの私にとってどこよりも居心地良く、
本当に毎日が楽しく過ぎて行った。
1980年春から1989年末までの9年半に及ぶティンガーデンでの暮らしは
そのまま私の80年代回想録。何故、今こんなに懐かしいのだろう?
あの頃の生活、あの頃の人々、そしてあの頃の私。
呼び戻してみたい。切ないくらいにそう思う。
*海風、そよ風、初夏の風 1*
開け放したキッチンの窓からアパートの裏庭で遊ぶ子供達の声が聞こえて来る。
コペンハーゲンに来て2度目の夏を迎えようとしていた。
さすがに酢豚以外にも作れるようになって、その日のメニューはコロッケと
決めていた。タマネギのみじん切りとミンチを良く炒めて、塩コショウ、
それにナツメッグ少々で味付けしたら、あらかじめ茹でてマッシュしておいた
ジャガ芋と混ぜ合わせる。それから写真のフィルムケースくらいのサイズ
に丸めて行く。デンマークのパン粉は砂のようにサラサラしている。
だからコロッケ作りはまるで砂遊び。工作のようで楽しい作業だ。
そして、嗚呼。
こんがり揚がったコロッケからは何とも懐かしくて、ほのぼのとした
美味しい匂いが立ち上ることか。
夕暮れ時の賑やかな商店街。夕飯の献立を思案しながら立ち止まる。
お惣菜やさんのガラスケースに並んだ揚げ物の数々。
何にしようか? 心は千々に乱れる。家族の顔を思い浮かべながら
「やっぱり、皆が大好きなコロッケにしよう!」
そしてお母さんはガラスケース越しに少し背伸びした。
…そんな故郷の団欒イメージが郷愁を誘うお惣菜、コロッケは当時の
「我が家の幸福メニューNO.1」と言えた。
”サッサッサアー、サラダの国から来たムスメー♪”(byイルカ)
お気に入りの歌を口ずさみみながらコロッケを順に揚げていると
トントトーン、階段2段飛びの音に続いて玄関チャイムがなった。
キッチンは狭い廊下を挟んで玄関から真直ぐに細長く続いていた。
だからその時も玄関を開けるとスーッと一筋、初夏の風が汗ばんだ私のおオデコを
一撫でして、キッチン突き当たりの窓へ通り抜けて行った。
ドアの外には日焼けしたジミーが笑顔で立っていた。
サッカーボールを回しながら「とうさん来てる?」開口一番に聞いた。
「今日はまだ。はい、どうぞ。」私は揚がったばかりのコロッケを一つ
紙に包んで手渡した。「おいしい!あのね、とうさん見かけたら僕はハーバー
に行ったって、そう伝えて。」彼はそういうとまた階段2段飛びで
明るい陽射しの中に飛び出して行ってしまった。
ジミーは私達の友達人夫婦リスとヨアンの13才になる息子だ。
当時ヨアンは私達の住むアパート、ティンガーデンの管理人をしていた。
アパートと言っても全部で3棟。90世帯の大所帯だ。彼はアパートの
メンテナンスから住人の相談役まで一手に引き受ける、頼りがいの有る
親方的存在だった。
さて、と、冷蔵庫の中に顔を突っ込んでサラダにする材料を探していると、
背後で「やあ、」という声がした。振り向くと、風が通るようにと
開けたままにしてあった玄関から今度はヨアンが顔を出した。
「ああ、行き違いよ。たった今ジミーが来た所。ハーバーに行くって。」
そう伝えると、「そりゃあ、都合が良い。僕達も皆の帰りを待って行こう。」と、
嬉しそうな笑顔で答えた。
ヨアンと来たら毎日でも沖に出たがるんだから、まったく漁師みたいだ、
と私は可笑しくなる。それでも、気付けばせっせと揚がったばかりの
コロッケをバスケットに詰め込んでいるのだった。
by sundby
| 2006-06-17 18:38
| ティンガーデン