2012年 06月 16日
70'の思い出 |
糸井重里さんの新聞の巻頭コラムが楽しくて毎日読んでいる。
それで、改めて思うのは 継続は力なり、という事です。
武田百合子さんの「富士日記」もご主人の武田泰淳氏に
一行でも良いから日々を記録するようにと言われて書き始めたと
ご自身が語っています。
泰淳氏が亡くなってからは書かなくなったと正直に述べています。
彼女くらいの人でも毎日書き続けるのは大変だ、と言う事です。
だから、新聞コラムを毎日欠かさず書き続けて15年の
糸井重里さんはなかなか出来ない事をしている人だと
感心したついでに思い出しました。。。
1970年代、ひょんなことから知人のカメラマンのマネージャーを
してあげることになったのだれれど、その場所が原宿のセントラルアパートでした。
アパートには当時活躍していたクリエーターがたくさん集まって、
新しいクリエーションの発信地的な場所でした。
多種多様な人達が出入りする建物の一角で、そういう彼等に混ざって
面白い毎日だったな…って。
アパートの内側にコートヤードがあって、
薄暗くてひんやりしたコンクリートの量感を感じる、
今思い出してもなかなか良い建築で、
たしか糸井重里 事務所もあったなあ…ってね。
そういうことを次々と思い出したのです。
そうしたら当時の空気みたいなものまで
ふわーっと思い出の奥の方から湧き出てきました。
とにかく、みんな若くて、みんなで面白い事を探していて、
これから僕たちが新しい時代を作って行くんだ!という
元気な時代。私にとっても自由で楽しかった数年間でした。
丁度、去年の今頃のこと。
実家の庭で梅の実を収穫しました。
それで、改めて思うのは 継続は力なり、という事です。
武田百合子さんの「富士日記」もご主人の武田泰淳氏に
一行でも良いから日々を記録するようにと言われて書き始めたと
ご自身が語っています。
泰淳氏が亡くなってからは書かなくなったと正直に述べています。
彼女くらいの人でも毎日書き続けるのは大変だ、と言う事です。
だから、新聞コラムを毎日欠かさず書き続けて15年の
糸井重里さんはなかなか出来ない事をしている人だと
感心したついでに思い出しました。。。
1970年代、ひょんなことから知人のカメラマンのマネージャーを
してあげることになったのだれれど、その場所が原宿のセントラルアパートでした。
アパートには当時活躍していたクリエーターがたくさん集まって、
新しいクリエーションの発信地的な場所でした。
多種多様な人達が出入りする建物の一角で、そういう彼等に混ざって
面白い毎日だったな…って。
アパートの内側にコートヤードがあって、
薄暗くてひんやりしたコンクリートの量感を感じる、
今思い出してもなかなか良い建築で、
たしか糸井重里 事務所もあったなあ…ってね。
そういうことを次々と思い出したのです。
そうしたら当時の空気みたいなものまで
ふわーっと思い出の奥の方から湧き出てきました。
とにかく、みんな若くて、みんなで面白い事を探していて、
これから僕たちが新しい時代を作って行くんだ!という
元気な時代。私にとっても自由で楽しかった数年間でした。
丁度、去年の今頃のこと。
実家の庭で梅の実を収穫しました。
by sundby
| 2012-06-16 21:19
| 日々のこと