2006年 12月 23日
コバルトブルーの夜明け |
☆
今から23年前の1983年。
コペンハーゲンスマイルに喜びの季節が巡って来ます。
*コバルトブルーの夜明け*
アッという間に3年の月日は経った。
その年の夏、私達は大きな一歩を踏み出す事になる。
1983年7月20日午前3時。
数時間前に西の空に隠れたばかりの太陽が早くも反対側から顔を
出そうとしている。日の出までのほんの少しの間、空は一面
透き通ったコバルトブルーに塗り染まる。地球が宇宙という
大きな海に浮かんでいるのだ、と感じながら…私はほとんど眠らずに
朝を迎えた。間もなく夏の太陽が元気良いっぱい東の空から顔を
出した。その日も暑くなりそうな気配だった。
私のお腹には赤ちゃんがいた。例のヤブ医者騒ぎから始まって、
かれこれ10ヶ月。もうずいぶん大きくなっているはずなのに、
まだお腹の中に住んでいた。ティンガーデンの連中が心配して、
椅子から飛び下りろ、とか、足の指の付け根を指圧すればお腹から
飛び出してくれる、とか、毎日騒がしい事と言ったらなかった。
リスはもう少し運動をすべきだとアドバイスをしてくれたが、
心配性のタカシさんは、そんな事をして道端で陣痛を起こしたら
大変だからジッとしているように、と言うばかりなのだった。
そういう周囲の心配をよそに、私は大きなお腹を抱えながら、モリモリ
食べて益々太ってきていた。身動きもままならず、ベッドから一度、
ゴロンと床に転がり降りて、ヨッコラショッと起き上がっては、
そういう自分をトドみたいだね、と可笑しがっていた。
指定された総合病院まではバスを乗り換えて半時間ほどかかる。
定期検診には毎回タカシさんと二人で出かけていた。
七夕様の日に生まれるはずだったから、もうとっくに予定日は過ぎていた。
その日も予約時間に遅れないように早めに家を出た。
気分は至って爽快。空は青いし、小鳥はさえずる。まったくピクニック気分
だねえ、と不安を隠すようなカラ元気でバス停に向かう。
途中でタカシさんが私が片方の手に持った小さなバッグを見とがめた。
「何を持って来たの?」「この前看護婦さんに言われたモノ。」「…?」
「歯ブラシ」「やっぱり今日なのかなあ?」「まあさかあ〜」
本当は多分その日だと覚悟はしていた。私だってバカじゃないから
前回の検診の時の「予定日を2週間過ぎても徴候が無かったら、
その時はがんばりましょうね。」と言った女医さんの言葉を忘れては
いない。でも、いざとなったら怖かった。だからギリギリまで気持を
ごまかしていたかった。
夕べ眠れなかったのも、今まで経験した事のない不安と気持の高ぶりからだ
と言う事ぐらい、自分が一番知っている。
ちょうど、夏休みなのでバスはがら空きだった。
市庁前広場は人通りもまばらで、全てが静止したかのようにシンとして、
物音の記憶さえ無い。ただ、真っ青な空の下でくっきりと切り取られたように
そびえる市庁舎の時計塔と、石畳に投影されたそのシルエットが、
キリコの絵のようだと思った。私達は広場のバス停で違う路線に乗り換えた。
二人とも、先程の歯ブラシ発言から何となく落ち着かない気持になっていた。
私は黙っているのが不安で、何か話そうと懸命だった。
そして、「実は、最近すごく思っている事が有るんだ。」「…?」
「もしかして、お腹の赤ちゃん、ずっと私のお腹の中にいたいんじゃない
かなって。そんな気がする。」バスに揺られながら、冗談とも本気とも
つかないような愚かな事を口走っているのだった。歯ブラシの入った小さな
バッグが手の中でモミクチャだった。
やがてバスは大きな建物の前で止まると、私達だけを降ろして行ってし
まった。
「ちょっと待って。」タカシさんがやおらポケットからカメラを取り出した。
「はい。そこで笑って!」こんな所で記念撮影だなんて、と笑ったら
お腹の赤ちゃんがピクリと動いた。一緒に笑った!と私は思った。
明るい戸外から建物の中に入ると、フィルムのネガのように一瞬目の前から
色彩が失われてしまう。暗さに慣れると今度は病院特有の匂いと、多分心理学的
に考えられた色彩で配色された壁が、私達を外界から遮断したシェルター
に迷い込んだような気持にさせた。
そこから先の記憶はおぼろで、広い通路から沢山の枝葉のように更に
通路が続き、私達は予約カードに印されたアルファベットに辿り着くまで
ノロノロと歩いた。なるべく時間をかけてゆっくり歩いた。
突然ガラス張りの明るいスペースに出た。
居心地良さそうなソファや椅子が置かれた部屋には、私達のようなカップル
が数組寛いでいた。そして、私達に気付くといっせいに笑顔で挨拶した。
「やー、貴女達もですか、私達も、です。」
そして、覚悟した。
私達は今日、人の子の親になる!
今から23年前の1983年。
コペンハーゲンスマイルに喜びの季節が巡って来ます。
*コバルトブルーの夜明け*
アッという間に3年の月日は経った。
その年の夏、私達は大きな一歩を踏み出す事になる。
1983年7月20日午前3時。
数時間前に西の空に隠れたばかりの太陽が早くも反対側から顔を
出そうとしている。日の出までのほんの少しの間、空は一面
透き通ったコバルトブルーに塗り染まる。地球が宇宙という
大きな海に浮かんでいるのだ、と感じながら…私はほとんど眠らずに
朝を迎えた。間もなく夏の太陽が元気良いっぱい東の空から顔を
出した。その日も暑くなりそうな気配だった。
私のお腹には赤ちゃんがいた。例のヤブ医者騒ぎから始まって、
かれこれ10ヶ月。もうずいぶん大きくなっているはずなのに、
まだお腹の中に住んでいた。ティンガーデンの連中が心配して、
椅子から飛び下りろ、とか、足の指の付け根を指圧すればお腹から
飛び出してくれる、とか、毎日騒がしい事と言ったらなかった。
リスはもう少し運動をすべきだとアドバイスをしてくれたが、
心配性のタカシさんは、そんな事をして道端で陣痛を起こしたら
大変だからジッとしているように、と言うばかりなのだった。
そういう周囲の心配をよそに、私は大きなお腹を抱えながら、モリモリ
食べて益々太ってきていた。身動きもままならず、ベッドから一度、
ゴロンと床に転がり降りて、ヨッコラショッと起き上がっては、
そういう自分をトドみたいだね、と可笑しがっていた。
指定された総合病院まではバスを乗り換えて半時間ほどかかる。
定期検診には毎回タカシさんと二人で出かけていた。
七夕様の日に生まれるはずだったから、もうとっくに予定日は過ぎていた。
その日も予約時間に遅れないように早めに家を出た。
気分は至って爽快。空は青いし、小鳥はさえずる。まったくピクニック気分
だねえ、と不安を隠すようなカラ元気でバス停に向かう。
途中でタカシさんが私が片方の手に持った小さなバッグを見とがめた。
「何を持って来たの?」「この前看護婦さんに言われたモノ。」「…?」
「歯ブラシ」「やっぱり今日なのかなあ?」「まあさかあ〜」
本当は多分その日だと覚悟はしていた。私だってバカじゃないから
前回の検診の時の「予定日を2週間過ぎても徴候が無かったら、
その時はがんばりましょうね。」と言った女医さんの言葉を忘れては
いない。でも、いざとなったら怖かった。だからギリギリまで気持を
ごまかしていたかった。
夕べ眠れなかったのも、今まで経験した事のない不安と気持の高ぶりからだ
と言う事ぐらい、自分が一番知っている。
ちょうど、夏休みなのでバスはがら空きだった。
市庁前広場は人通りもまばらで、全てが静止したかのようにシンとして、
物音の記憶さえ無い。ただ、真っ青な空の下でくっきりと切り取られたように
そびえる市庁舎の時計塔と、石畳に投影されたそのシルエットが、
キリコの絵のようだと思った。私達は広場のバス停で違う路線に乗り換えた。
二人とも、先程の歯ブラシ発言から何となく落ち着かない気持になっていた。
私は黙っているのが不安で、何か話そうと懸命だった。
そして、「実は、最近すごく思っている事が有るんだ。」「…?」
「もしかして、お腹の赤ちゃん、ずっと私のお腹の中にいたいんじゃない
かなって。そんな気がする。」バスに揺られながら、冗談とも本気とも
つかないような愚かな事を口走っているのだった。歯ブラシの入った小さな
バッグが手の中でモミクチャだった。
やがてバスは大きな建物の前で止まると、私達だけを降ろして行ってし
まった。
「ちょっと待って。」タカシさんがやおらポケットからカメラを取り出した。
「はい。そこで笑って!」こんな所で記念撮影だなんて、と笑ったら
お腹の赤ちゃんがピクリと動いた。一緒に笑った!と私は思った。
明るい戸外から建物の中に入ると、フィルムのネガのように一瞬目の前から
色彩が失われてしまう。暗さに慣れると今度は病院特有の匂いと、多分心理学的
に考えられた色彩で配色された壁が、私達を外界から遮断したシェルター
に迷い込んだような気持にさせた。
そこから先の記憶はおぼろで、広い通路から沢山の枝葉のように更に
通路が続き、私達は予約カードに印されたアルファベットに辿り着くまで
ノロノロと歩いた。なるべく時間をかけてゆっくり歩いた。
突然ガラス張りの明るいスペースに出た。
居心地良さそうなソファや椅子が置かれた部屋には、私達のようなカップル
が数組寛いでいた。そして、私達に気付くといっせいに笑顔で挨拶した。
「やー、貴女達もですか、私達も、です。」
そして、覚悟した。
私達は今日、人の子の親になる!
by sundby
| 2006-12-23 06:12
| 家族