2006年 09月 21日
コペンハーゲンスマイル |
【デンマーク生活から学んだ エトセトラ】
* 家具の国の家具デザイナー?! 2*
タカシさんがデンマークに来たのが1971年、
デザインオフィスを立ち上げたのが1973年。それから現在まで
数えて、かれこれ30数年。コペンハーゲンで家具デザイナーとして
活動して来たわけで、あらためてこうして書くと、結構な歴史を感じる。
と、同時に今から26年も前に気軽にひょっこりやって来てしまった
私もちょっとは偉かったな、と思う。
1980年春。前述したように、家族どころか本人でさえ結婚相手の
職業をきちんと把握しないまま私のデンマーク生活はスタートしたのだった。
不安は無かったのか?と聞かれればまったく無かったとは言えない。
しかし、それまでの人生を思いきりリセットし、真っ白いページを
開いた時のようで、それはワクワクした毎日だった。
まず、当然の事ながら見るもの聞くもの全てが新鮮だということ。
それから知らなくて当たり前という前提になれば、
何でも質問できるし、人は喜んで教えてくれる。
実はそういうことに気付かせてくれたのも、他ならぬタカシさんだった。
閑な私は仕事場に日参した。
王宮のすぐ近く、コペンハーゲン旧市街地のどまん中という好立地条件で
床面積300平米。(だから本当にローラースケートができたのです。)
レンガの古い倉庫を改造したスペースには、彼らが自ら内装をした居心地良い
空間が広がっていた。私が行くと必ず、コーヒーブレーク、天気の良い日には
近所の公園に場所を移して日光浴、そして、驚くなかれ午後3時には
その日のお仕事おしまい。一体全体何時仕事をしているのか?
それまであくせくと働いて来た私は、こんな事では人間ダメになって
しまうよ。と、内心あせっていた。
そんなある日のこと、
「こんなのどう?」タカシさんが食後のテーブルにノートを広げて
椅子のイラストを見せてくれた。
そこには今まで見た事もないようなゆったりとした椅子が描かれていた。
美しい!まるで空飛ぶ絨毯みたいだと思った。
「それに第一、何だあータカシさんったら私の知らない内に
ちゃんと仕事して感心、カンシン。」
日本のサラリーマン社会を知り尽した私から見ると、まるで怠惰な日々を
送っている彼にむかって投げた言葉など聞こえなかったように、
その椅子のデザインに関する内容=依頼先家具メーカーの性格や
販売先やセールス方法まで詳しく説明しながら、今後はいつも自分の仕事を
最初から全て知っていて欲しい。興味を持って欲しい。知らない事は
質問して欲しいし、自分の意見を持てる人になって欲しい。と、
私に対する希望を述べた。更に
僕の仕事はキョーちゃんとの共同作業とまで言ってくれたのだ!
この一言が私のデンマーク生活を単なる主婦から
「世界中で一番夫の仕事=家具デザイナーを理解する主婦」になる!という
目標のある人生に塗り替えてくれたのだった。
実際、理解するまでにはそれから長い道程ではあったけれど。とにかく
そんな事があって暫くして、あの時の椅子が出来たから見に来ないか、という
連絡に飛んで行った。私は一目見るなり、いつか見せてもらったイラストと
そっくりなのにビックリした。「あの時の絵が立体になっていて、実際に
座れる!」と、そんな当たり前な事に素直に感動した。
そして、その時初めて家具をデザインするということが少しだけ理解出来た
ような気がした。
以来、私は彼の仕事を通して学びつつ、家具デザイナーとは
何をするべき職業なのか?ということから、北欧家具とは?その魅力とは?
というところまで、かなりディープな業界の内情も含めて理解してゆけるように
なっていったのだった。
私にとっても記念すべきその椅子は、25年経った現在も生産され多くの
人々に愛用され続けている。
ね、家具デザイナーって素晴らしい仕事でしょ?!
* 家具の国の家具デザイナー?! 2*
タカシさんがデンマークに来たのが1971年、
デザインオフィスを立ち上げたのが1973年。それから現在まで
数えて、かれこれ30数年。コペンハーゲンで家具デザイナーとして
活動して来たわけで、あらためてこうして書くと、結構な歴史を感じる。
と、同時に今から26年も前に気軽にひょっこりやって来てしまった
私もちょっとは偉かったな、と思う。
1980年春。前述したように、家族どころか本人でさえ結婚相手の
職業をきちんと把握しないまま私のデンマーク生活はスタートしたのだった。
不安は無かったのか?と聞かれればまったく無かったとは言えない。
しかし、それまでの人生を思いきりリセットし、真っ白いページを
開いた時のようで、それはワクワクした毎日だった。
まず、当然の事ながら見るもの聞くもの全てが新鮮だということ。
それから知らなくて当たり前という前提になれば、
何でも質問できるし、人は喜んで教えてくれる。
実はそういうことに気付かせてくれたのも、他ならぬタカシさんだった。
閑な私は仕事場に日参した。
王宮のすぐ近く、コペンハーゲン旧市街地のどまん中という好立地条件で
床面積300平米。(だから本当にローラースケートができたのです。)
レンガの古い倉庫を改造したスペースには、彼らが自ら内装をした居心地良い
空間が広がっていた。私が行くと必ず、コーヒーブレーク、天気の良い日には
近所の公園に場所を移して日光浴、そして、驚くなかれ午後3時には
その日のお仕事おしまい。一体全体何時仕事をしているのか?
それまであくせくと働いて来た私は、こんな事では人間ダメになって
しまうよ。と、内心あせっていた。
そんなある日のこと、
「こんなのどう?」タカシさんが食後のテーブルにノートを広げて
椅子のイラストを見せてくれた。
そこには今まで見た事もないようなゆったりとした椅子が描かれていた。
美しい!まるで空飛ぶ絨毯みたいだと思った。
「それに第一、何だあータカシさんったら私の知らない内に
ちゃんと仕事して感心、カンシン。」
日本のサラリーマン社会を知り尽した私から見ると、まるで怠惰な日々を
送っている彼にむかって投げた言葉など聞こえなかったように、
その椅子のデザインに関する内容=依頼先家具メーカーの性格や
販売先やセールス方法まで詳しく説明しながら、今後はいつも自分の仕事を
最初から全て知っていて欲しい。興味を持って欲しい。知らない事は
質問して欲しいし、自分の意見を持てる人になって欲しい。と、
私に対する希望を述べた。更に
僕の仕事はキョーちゃんとの共同作業とまで言ってくれたのだ!
この一言が私のデンマーク生活を単なる主婦から
「世界中で一番夫の仕事=家具デザイナーを理解する主婦」になる!という
目標のある人生に塗り替えてくれたのだった。
実際、理解するまでにはそれから長い道程ではあったけれど。とにかく
そんな事があって暫くして、あの時の椅子が出来たから見に来ないか、という
連絡に飛んで行った。私は一目見るなり、いつか見せてもらったイラストと
そっくりなのにビックリした。「あの時の絵が立体になっていて、実際に
座れる!」と、そんな当たり前な事に素直に感動した。
そして、その時初めて家具をデザインするということが少しだけ理解出来た
ような気がした。
以来、私は彼の仕事を通して学びつつ、家具デザイナーとは
何をするべき職業なのか?ということから、北欧家具とは?その魅力とは?
というところまで、かなりディープな業界の内情も含めて理解してゆけるように
なっていったのだった。
私にとっても記念すべきその椅子は、25年経った現在も生産され多くの
人々に愛用され続けている。
ね、家具デザイナーって素晴らしい仕事でしょ?!
by sundby
| 2006-09-21 19:58