2006年 07月 24日
地下に眠る'80ヌーボー |
【ティンガーデン物語り】
*地下に眠る'80ヌーボー*
少々気むずかし屋のステーブルさんも時計の一件以来、私達には
とても親切にしてくれるようになった。そして、こんな小さな出来事が
一つ、二つと積み木のように重なりながら、私のデンマーク生活も
少しずつ板に付いて来たある日の午後、いつものようにヨアンがやって来ると、
「そろそろ今シーズンのワインのテースティングに行こうではないか。」と
私達を誘った。
「待ってました!」と、タカシさんが笑顔になった。
「…!!」、私は額に縦線が入る自分を感じた。
個人住宅でさえほとんどの場合地下室が設けられているこの国では、
住まいを探す際の決め手の一つが地下のコンディション。
集合住宅の場合はその清潔度や活用の有無も、良し悪しを見分ける際の
大切なポイントといえる。ティンガーデンには掃除の行き届いた地下室が有り、
こういう所にも管理人ヨアンの人柄が反映しているのだった。
地下には住民専用の戸別物置き部屋や自転車置き場、ボイラー室などの他に
集会場と呼んでいる住民が共同で管理運営しているスペースが有って、
子供の誕生会や各種集まりに活用されていた。そして、
もう一つの忘れられない名物地下室。それがワインセラーだった。
話が少々飛ぶようだが、私達は結婚にたどり着くまでいわゆる
一般的にいうところの「遠距離恋愛」。今とは違いe-mailなどは無いし、
国際電話は交換手を通さなければならず、おまけに信じられない程
高額だったから、もっぱら文通。手紙は良い。言えない事も文章だと
案外素直に書ける。そして、そこに時間が加味されるのがまた良い。
相手の事を想ったり、思いやったり、懐かしんだり、心配したり。
そういう細かい感情が手紙のやり取りに重なりあって、
相乗効果でお互いに実際よりも良く思えたりするものだ。
これはとてもロマンティック。
で、ある時のタカシさんからの手紙に私は限り無く夢を描いてしまった。
そこには「今年の僕のワインがセラーで熟成しています。」と書かれて
いたのだ。さすがはヨーロッパだ。アパートといえどもワインセラー付き
なのだ!と、想像は大きな風船のように膨らんでいった。
何分にもワインが今程浸透していなかった時代の事で、私が
ワインセラーという響きに馥郁たるヨーロッパの薫りを想い描いて
しまったのも無理からぬ事だったと思って欲しい。
タカシさんが私を初めてセラーに案内してくれた日の事は、
今も昨日の事のように思い出せる。
「今夜は我が家特製ワインを飲もう!」と言うタカシさんの言葉に、
そうだった、そうだった。そんな素敵な事を忘れていたなんて、
何と私はうっかり者!早くワインセラーに連れて行って!
年代物の樽が寝かされているセラーを想像して私の胸は高鳴り、
熟成したワインの薫りを想って心は躍った!
ワインセラーの有る棟は別棟だったから、初めて行く地下だった。
ひんやりした階段が期待感を高まらせる。
ギギーッ!木製の重たいドアを開けると…、そこは…
案に計らんや、まるで化学の実験室。白い半透明のポリ容器がズラーッと並び、
どれにも同様のプラスティック製のホースが差し込まれている。
棚には化学薬品のようなビン入り液体がいくつも並んでいた。
ポリ容器の一つを指して、「これが僕達のワイン」嬉々としてタカシさんが
言った。容器にはいかにも彼らしい丁寧な書体で「TAKASHI」と書かれている。
そうよね、樽が並んでいるわけが無いよね。ここはブルゴーニュでも
ボルドーでもないものね。
気付けば他の住人達も集まって来て、いやはやその日はティンガーデン
ワイン祭りになってしまったのだった。
私も我が家の80年ヌーボーを試飲した。
なんだか、頭のテッペンにカキン!と来る強烈ワインだけれど、これからは
我が家のセラーから運べばいつでも飲めるし、何と言っても自家製という所が
嬉しいでは無いか!周囲の人々に薦められるまま各家庭のハウスワインを飲み比べ、
「カンパーイ!」「スコール、カンパイ。」とグラスを重ねていった。
その日は皆したたかに酔って、歌を歌いながら解散したのだった。
翌朝は火花が散るような頭痛で目覚めた。ひどい二日酔いに、飲み過ぎた自分を
すっかり棚に上げて、ティンガーデン特製ワインの強烈効果ばかりが印象に
残った初飲みとなった。
と言うわけで、あの日、ヨアンの誘いに笑顔で答えるタカシさんの横で、
私は潔く久しぶりの強烈二日酔いを覚悟したのだった。
81年物がどのようであったか?は、その後の二人にワイン作りの情熱がなくなって
しまったことで分ろうと言うものだろう。
*地下に眠る'80ヌーボー*
少々気むずかし屋のステーブルさんも時計の一件以来、私達には
とても親切にしてくれるようになった。そして、こんな小さな出来事が
一つ、二つと積み木のように重なりながら、私のデンマーク生活も
少しずつ板に付いて来たある日の午後、いつものようにヨアンがやって来ると、
「そろそろ今シーズンのワインのテースティングに行こうではないか。」と
私達を誘った。
「待ってました!」と、タカシさんが笑顔になった。
「…!!」、私は額に縦線が入る自分を感じた。
個人住宅でさえほとんどの場合地下室が設けられているこの国では、
住まいを探す際の決め手の一つが地下のコンディション。
集合住宅の場合はその清潔度や活用の有無も、良し悪しを見分ける際の
大切なポイントといえる。ティンガーデンには掃除の行き届いた地下室が有り、
こういう所にも管理人ヨアンの人柄が反映しているのだった。
地下には住民専用の戸別物置き部屋や自転車置き場、ボイラー室などの他に
集会場と呼んでいる住民が共同で管理運営しているスペースが有って、
子供の誕生会や各種集まりに活用されていた。そして、
もう一つの忘れられない名物地下室。それがワインセラーだった。
話が少々飛ぶようだが、私達は結婚にたどり着くまでいわゆる
一般的にいうところの「遠距離恋愛」。今とは違いe-mailなどは無いし、
国際電話は交換手を通さなければならず、おまけに信じられない程
高額だったから、もっぱら文通。手紙は良い。言えない事も文章だと
案外素直に書ける。そして、そこに時間が加味されるのがまた良い。
相手の事を想ったり、思いやったり、懐かしんだり、心配したり。
そういう細かい感情が手紙のやり取りに重なりあって、
相乗効果でお互いに実際よりも良く思えたりするものだ。
これはとてもロマンティック。
で、ある時のタカシさんからの手紙に私は限り無く夢を描いてしまった。
そこには「今年の僕のワインがセラーで熟成しています。」と書かれて
いたのだ。さすがはヨーロッパだ。アパートといえどもワインセラー付き
なのだ!と、想像は大きな風船のように膨らんでいった。
何分にもワインが今程浸透していなかった時代の事で、私が
ワインセラーという響きに馥郁たるヨーロッパの薫りを想い描いて
しまったのも無理からぬ事だったと思って欲しい。
タカシさんが私を初めてセラーに案内してくれた日の事は、
今も昨日の事のように思い出せる。
「今夜は我が家特製ワインを飲もう!」と言うタカシさんの言葉に、
そうだった、そうだった。そんな素敵な事を忘れていたなんて、
何と私はうっかり者!早くワインセラーに連れて行って!
年代物の樽が寝かされているセラーを想像して私の胸は高鳴り、
熟成したワインの薫りを想って心は躍った!
ワインセラーの有る棟は別棟だったから、初めて行く地下だった。
ひんやりした階段が期待感を高まらせる。
ギギーッ!木製の重たいドアを開けると…、そこは…
案に計らんや、まるで化学の実験室。白い半透明のポリ容器がズラーッと並び、
どれにも同様のプラスティック製のホースが差し込まれている。
棚には化学薬品のようなビン入り液体がいくつも並んでいた。
ポリ容器の一つを指して、「これが僕達のワイン」嬉々としてタカシさんが
言った。容器にはいかにも彼らしい丁寧な書体で「TAKASHI」と書かれている。
そうよね、樽が並んでいるわけが無いよね。ここはブルゴーニュでも
ボルドーでもないものね。
気付けば他の住人達も集まって来て、いやはやその日はティンガーデン
ワイン祭りになってしまったのだった。
私も我が家の80年ヌーボーを試飲した。
なんだか、頭のテッペンにカキン!と来る強烈ワインだけれど、これからは
我が家のセラーから運べばいつでも飲めるし、何と言っても自家製という所が
嬉しいでは無いか!周囲の人々に薦められるまま各家庭のハウスワインを飲み比べ、
「カンパーイ!」「スコール、カンパイ。」とグラスを重ねていった。
その日は皆したたかに酔って、歌を歌いながら解散したのだった。
翌朝は火花が散るような頭痛で目覚めた。ひどい二日酔いに、飲み過ぎた自分を
すっかり棚に上げて、ティンガーデン特製ワインの強烈効果ばかりが印象に
残った初飲みとなった。
と言うわけで、あの日、ヨアンの誘いに笑顔で答えるタカシさんの横で、
私は潔く久しぶりの強烈二日酔いを覚悟したのだった。
81年物がどのようであったか?は、その後の二人にワイン作りの情熱がなくなって
しまったことで分ろうと言うものだろう。
by sundby
| 2006-07-24 19:36
| ティンガーデン